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2014年12月31日09時33分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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中世日本の「韓国史教科書」…90年間、奎章閣に埋もれていた
●ソウル大学奎章閣(キュジャンガク)で90年ぶりに発見された『新刊東国通鑑』本版。(写真=奎章閣韓国学研究院)
日帝強制占領期間に紛失していたと言われる日本版『新刊東国通鑑』冊版が90年ぶりにソウル大学の奎章閣(キュジャンガク)で発見された。
中世の日本の韓国史教科書と見なされていた重要資料だ。
ソウル大奎章閣韓国学研究院のキム・シドク教授は
「1928年10月に名越那珂次郎・京城帝大予科教授がこの木版を見たと言及したのを最後に紛失してしまっていたこの本版を、奎章閣の書庫で見つけた」
と30日公開した。
『東国通鑑』は、檀君朝鮮の歴史が記録された朝鮮時代の代表的な歴史の本だ。
今回キム教授が確認した資料は、
朝鮮の『東国通鑑』を江戸時代の1667年に日本で作った木版535枚のうちの533枚だ。
日本版で新しく印刷したので「新刊」という言葉がついた。
キム教授は
「日本の学界で消失したと思われていたこの資料は、
実は解放後にソウル大奎章閣に移管されたが、
韓国研究者が日本版の木版であることを知らないまま木版目録についても言わずに100年近く埋もれていたようだ」
と後になって発見された理由を説明した。
『新刊東国通鑑』(以下『新刊』)は、
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に日本から略奪された『東国通鑑』版本を1667年、現在の茨城県にある水戸藩の2代藩主・徳川光圀が印刷したものだ。
徳川光圀は「水戸黄門」と呼ばれた日本版隠密特使パク・ムンスのような偉人で、今も日本人が愛する歴史人物の1人だ。
彼が強調する愛国主義と日本主義的な学風は「水戸学」と呼ばれたが、これを代表する刊行物『大日本史』の叙述で『新刊』が中心資料だったという。
キム教授は
「江戸時代の日本で韓半島(朝鮮半島)の歴史全般を知るために最も多く読まれた書籍が『東国通鑑』だったし、
徳川光圀はこの本の愛好家として三韓(古代朝鮮南部にあった馬韓・辰韓・弁韓)が日本の蕃国だからよく知っておかなければならないといった自己中心的な解釈をしたもの」
と説明した。
偏見が多い恣意的な判断の史観という限界はあるが、日本人の韓国歴史観の確立に大きな役割を果たした資料だったということだ。
それだけ『東国通鑑』が韓半島の古・中世史を体系的かつ豊富に整理した本という傍証だ。
●『新刊東国通鑑』の内容を視角化して1853年に日本で刊行された『絵本朝鮮征伐期』の挿絵。高句麗始祖王である朱蒙(ジュモン)の伝説をテーマにした。(写真=海軍士官学校博物館)
『新刊』は1883年(明治16年)にこの木版を利用して再出版され、
1916年に第3代朝鮮総督として赴任した長谷川好道がその木版を持ち込んで朝鮮総督府学務局学務課分室(旧奎章閣)に535枚を寄贈したことになっている。
その後、旧奎章閣の資料が1928~30年に京城帝国大学に移管されたという記録を最後に、この木版の行方は分からなくなっていた。
キム教授は
「壬辰倭乱の時に略奪された朝鮮本『東国通鑑』が
日本版の木版の形態に姿を変えて韓半島へ渡ってきて、
そして後、紛失し再び存在が確認されたのは、両国の文化交流史を考えさせる奇跡のような事件」
と要約した。
今回発見された『新刊』のように韓国に残っている中国や日本の貴重な文献を発掘して、韓国学が東アジア学になる可能性を作り出さなければならないということだ。
このために紙で印刷された文献だけに固執せずに、文献を印刷した本版の研究にまで進む書誌学界の認識の変化も必要だとキム教授は助言した。
キム・シドク教授は『新刊』の発見の経緯と今後解決すべき課題などを整理した論文を来年1月2日の「文献と解釈研究会」で発表する予定だ。
◆『東国通鑑』=朝鮮前期に官で編纂した代表的な歴史書物。
56巻28冊からなる活字本だ。
1458年に世祖の命で始めて1485年(成宗16年)に徐居正らが完成させた。
歴史を年代順に記述する編年体史書で檀君朝鮮から高麗末までを扱った。
檀紀(檀君紀元)を書く時に紀元前2333年を出発点にする根拠が、この本に出てくる。
◆冊版=旧漢書を刷るために木版紙の上に活字を打ち込んで文を刻んだ版。
重要な本の印刷用の本版は遺物扱いを受けた。
さまざまな版本がある場合、本版はその本の価値を区分する資料になる。
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