2014年10月3日金曜日

香港デモが突く中国政府の「泣き所」:非暴力的な抗議

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●3日、BBC中文網は記事「中国政府は天安門事件以来の最大の挑戦に直面―英誌」を掲載した。武力による脅しやメディアやネットの検閲という常套手段が使えない中国は危機に立たされているという。写真は雨傘革命のマーク。



ロイター 2014年 10月 2日 13:36 JST John Foley
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPKCN0HR08X20141002

コラム:香港デモが突く中国政府の「泣き所」

[香港 1日 ロイターBreakingviews] - 抗議デモというものは往々にして平和的に始まるが、徐々に過熱し、時として暴徒化する。
 しかし、香港の民主化要求デモはここまでのところ、そうした定石を覆している。

 民主的選挙の実施を求めるデモ参加者は、9月29日には警官隊から催涙ガスなどを浴びせられたが、翌日には、ある種和やかとさえ言える雰囲気に落ち着いた。
 中国政府にとっては、むしろその方が神経を逆なでされる状況かもしれない。

 数万人のデモ参加者の中にいると、抗議活動というより、まるで音楽フェスティバルにいるかのように錯覚する。
 2017年の次期行政長官選挙の完全民主化を求めるデモ参加者は、多くが20代もしくはそれ以下の若い層で、一部には学校の制服姿も見られる。
 ボランティアたちは、お菓子や飲み物を配っており、デモ初日のような騒乱の兆候は一切ないが、催涙ガス対策としてゴーグルも用意している。
 また、新たなデモ参加者には人が多すぎる場所を避けるようガイドしたり、挑発されても冷静に対処する方法などを記した手書きのパンフレットも手渡している。

 いつ誰が暴徒化してもおかしくない状況で冷静なデモを続けるには、戦略が必要だ。
 非暴力論の提唱者たちによれば、中国のような強力な政府と対峙する唯一の方法は、計画と訓練で冷静さを保ち、善意の力で敵を倒すことだという。

 筆者は今回のデモの共同発起人の1人、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)氏と2013年に会ったが、彼の本棚は市民的不服従運動に関する学術書で埋まっていた。
 インド建国の父マハトマ・ガンジーのことは当然ながら、戴氏は「ウォール街を占拠せよ」に大きな影響を与えた非暴力抵抗運動の第一人者ジーン・シャープ氏のことも研究していた。

 ある意味、香港は平和的デモを行うには理想的な場所だ。
 秩序があって比較的安定しており、住民は当局がバランスの取れた対応をすると大筋で信用している。
 戴氏は「中国人らしさ」が果たす役割も強調する。
 「ウォール街を占拠せよ」などのデモが失敗に終わった要因の1つはリーダーシップの欠如だが、一方で今回の香港のデモを計画した学者らは、1人のリーダーが突出するのを避けようとした。
 リーダーが明確になった場合に中国政府に狙われるのを懸念したからだ。

 今回のデモで最も印象的なのは、秩序ある行動が自然発生的であることだ。
 一部は事前に準備されていたにせよ、デモ参加者同士の協力の多くは当意即妙で行われており、主催者の1人によれば、経験豊富な人たちがその場でさまざまなことを教えているという。
 必要な物資は、ソーシャルネットワークなどを通じて調達されている。

<非暴力的な抗議>

 香港のデモに中国政府がどう対応するかについては憶測が絶えない。
 しかし、政府当局の対応は主として内向きであり、外向きではない。
 デモに関する情報は、中国本土からはほとんどうかがえないままだ。
 写真共有アプリ「インスタグラム」はブロックされており、中国メディアは今回のデモをほぼ無視している。
 一方で共産党の機関紙「人民日報」は、学生たちがデモ参加を「強要」されていると非難した。

 驚くには値しない。
 中国政府には、香港で起きていることを恐れる十分な理由がある。
 暴力的なデモのイメージも確かに歓迎されないが、平和的かつ組織的なデモの方がはるかに説得力を持つからだ。
 平和的デモは、強圧的な鎮圧も難しい。催涙ガスの使用はデモ参加者を増やしただけだ。
 1989年の天安門事件の苦い記憶をひきずっている共産党指導部にとって、それは避けたいことの1つだ。

 暴力的騒乱の恐怖をあおることは、中国政府の武器でもある。
 多くの人にとって、社会の騒乱といえば、今も文化大革命に結びついている。
 社会が混沌状態に陥ることへの恐怖は広く浸透している。

 しかし、香港で今起きていることは、騒乱イコール混沌という考えが間違いであることを示している。
 実際デモ参加者にとって最大の危険は、時折降る雨でびしょぬれになることぐらいだ。
 当初は手荒な手段に出た警察が自制していることも大きい。
 中国政府がこうした映像を本土市民から遠ざけておきたいと思うのは想像に難くない。

 大きな疑問は、今回のデモで何が達成できるかだ。
 中国政府が完全民主化要求の圧力に屈するとは考えられない。

 香港で行われているデモの最大の障壁は恐らく、何をもって成功とするかの明確なプランがないことだろう。
 市民の関心が弱まって徐々に勢いを失うか、群衆が散り散りになるかもしれない。
 ただ、社会運動を感情的だが平和的に、破壊的だが協調的に行えるという現実を中国政府に突きつけることで、何らかの歴史的足跡を残すだろう。

*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。



JB Press 2014.10.03(金)  柯 隆
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41858

香港で高まっていた嫌中感情民主派デモで問われる一国二制度の真価

 中国にとっては、まさに多事の秋である。
 かつて最高実力者である鄧小平はイギリスのサッチャー首相(当時)と、返還後の香港では中国(大陸)と異なる資本主義の存続を保障する、いわゆる「一国二制度」を約束した。
 それでも多くの香港市民は、返還後の香港が中国の統治下に入ることを恐れ、返還の前に相次いでイギリス、カナダ、オーストラリアなどへ移住した。
 こうした移民ブームの背景に、北京政府に対する香港市民の不信があったことは明らかである。

 その後、中国経済の高度成長は香港経済にも多大な恩恵をもたらした。
 特に中国政府は香港の人心を掌握するために、大陸住民による香港での投資を許可し、「自由行」(香港への個人旅行の自由化)を認めるなど様々な政策を打ち出した。

 香港と大陸の政治的な一国二制度は続いているが、経済は一体化が着実に進んだ。
 大陸の不動産バブルは香港の不動産市場にも波及した。
 今や香港は坪当たりの単価が世界で最も高くなっている。

 ただし、香港経済の過熱は、投資家にとってはグッドニュースかもしれないが、香港の一般市民にとって必ずしも朗報とはならない。
 不動産価格の上昇はマンションとアパートの賃料に波及し、低所得層には大きな負担になっている。
 香港と大陸経済の一体化を熱烈に歓迎する投資家と事業者がいる一方、一般の香港市民の間では不満が募っている。

■問われる一国二制度の真価

 鄧小平がサッチャー元首相に約束した一国二制度は、そもそも一体どのようなものだったのか。

 鄧小平の言葉を援用すれば「香港のことは香港人に任せる」ということである。
 イギリスの統治下で築かれた香港の資本主義の諸制度は向こう50年変わらない。
 それを定めているのは「香港基本法」である。

 「香港のことは香港人に任せる」という大原則はおそらく今も変わっていない。
 ただし、「香港人」とは誰のことなのか。
 中国への返還後、香港人の一部は海外へ移住し、その代わりに大陸の人々が大挙して香港へ移住してきた。
 言い換えれば、オリジナルの香港人の濃度は年々薄れている。

 香港返還当初、先進主要国の中国ウォッチャーたちは香港の中国化を心配していた。
 その中には、中国の香港化を期待する者もわずかだが存在していた。

 だが、現実的に考えれば、数百万人の香港人が13億人の中国人を変えることは不可能である。
 一国二制度の下では、香港と中国の2つのベクトルが交わることはない。
 香港はかつてのようなレッセフェール(自由放任主義)の国際都市ではなくなり、「中国の香港」になったのである。

 表向きは、中国は香港への関与を強めてはいない。
 なぜならば、中国は同じ一国二制度の枠組みで台湾を統一したいからである。

 最近、習近平国家主席は「一国二制度で台湾と統一する」との談話を発表している。
 それに対して、台湾の指導者は猛反発した。
 台湾は現状維持を堅持するということである。
 馬英九総統の言葉を借りれば、
 「独立もしなければ、統一もしない」というのが台湾のスタンス
である。

 一国二制度は鄧小平の知恵によるものだが、当事者同士がお互いの立場を尊重しなければ、不安定化するおそれが大きくなる。
 中国に返還された以上、北京政府は香港で主権を行使することができる。
 中国外交部スポークスマンの言葉で言えば「香港で起きたことは中国の内政だ」ということである。
 それは確かなことであり、中国の一都市になった香港が独立した国の待遇を入手することはあり得ない。
 この点が香港とシンガポールの違いである。

 今、一国二制度の真価が問われている。
 それを生み出したのは鄧小平の悪知恵だったと言えるかもしれない。
 要するに、香港人が考えている二制度と、北京政府が約束した二制度はまったく違うものだということである。

■抑えきれない中国政府に対する不信

 香港の民主派議員と学生は北京政府の政治介入に反発して、香港の中心街を占拠し、抗議活動を展開している。
 この活動は香港では「占領中環」(オキュパイセントラル、占中)と呼ばれている。

 この活動が展開されるようになった経緯は次の通りだ。
 香港のトップである行政長官を選ぶ選挙が2017年に行われる。
 その選挙では市民が直接長官を選ぶ「普通選挙」が導入されることになっている。
 しかし、内実は普通選挙ではない。
 選挙に立候補するには、1200人からなる指名委員会の過半数の推薦を得る必要がある。
 その委員会の8割は親中派と見られ、民主派議員は事実上締め出される格好となった。
 危機感を強めた民主派議員は学生を動員し、政府の所在地のあるセントラル地区を占領したのである。

 香港の世論を見ると、学生や低所得層の多くが「占中」活動を支持している。
 しかし、事業者や投資家は経済への影響を懸念して「占中」活動を批判している。

 香港は世界の中で重要な国際金融センターであり国際貿易センターである。
 香港経済が繁栄すれば、誰が行政長官をやってもいいのではないかと思われていた。
 しかし問題は、低所得層の香港市民は香港経済繁栄の果実を十分に享受していないことである。
 また、大陸から大挙して中国人が押し寄せて、ブランド品から粉ミルク、紙おむつまで買いあさり、それによって香港の物価が上昇している。
 香港人の安定した生活が打ち壊され、嫌中感情が高まっていた。

 冷静に考えれば、もしも民主派議員が行政長官に当選した場合、
 北京政府との距離が遠くなり、それこそ香港経済と香港市民の生活に大きな影響が出ることになる。
 かといって共産党の息のかかった人物ばかりが行政長官になるのも、香港人は受け入れられない。
 なによりも心配されるのは、共産党統治の香港に変われば、香港が香港ではなくなってしまうことだ。

 「占中」活動は単なる選挙制度に対する民主派議員と学生の怒りだけでなく、中国政府に対する不信によるところが大きい。
 民主派議員と学生たちは、梁振英行政長官の辞任を求めている。
 だが梁長官が辞任しても問題は解決しない。
 この問題を根本的に解決するには、中国政府が政治改革を推し進めることである。
 中国が自ら変わらなければ、香港人からの信頼を得ることができないばかりか、台湾との統一も叶わぬ夢に終わるだろう。

 中国の政治改革はもちろん一朝一夕でできるものではない。
 「占中」活動も長引くだろう。香港の政治不安はさらに増幅する恐れがある。



レコードチャイナ 配信日時:2014年10月6日 2時16分
http://www.recordchina.co.jp/a95211.html

習近平を苦しめる「雨傘革命」、
暴力や検閲など“常套手段”が通じない香港―英誌

  2014年10月3日、BBC中文網は記事
 「中国政府は天安門事件以来の最大の挑戦に直面―英誌」
を掲載した。

 英誌エコノミストは香港の「雨傘革命」に関する記事を掲載。
 1997年の香港復帰以来、中国政府の指導者にとっては最大の懸念となる“悪夢”であり、1989年の天安門事件以来となる中国の都市で起きた学生中心の民主的抗議活動だと評した。

 香港の法体系は英国植民地時代のものが使われており、中国本土で採用されているような武力による脅しやメディアとネットの検閲といった強圧的な手段を使うことはできない。
 もし対策に失敗すれば中国にとっては大きな打撃になると同誌は指摘している。

 また記事は、若き抗議者たちはたんに民主主義が失われていることに憤っているわけではないと指摘している。
 高学歴の中国本土人が続々と香港での仕事を求めて押しかけてきており、香港の学生の仕事を奪っていることも不満の要因だという。




【描けない未来:中国の苦悩】





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